テーマ

アルベール・カミュ作、『異邦人』を取り上げてみたいと思います。

「不条理」を表現した小説だと、よく言われますね。で、その「不条理」って何かというと、

不合理であること、常識に反していること

の二つが、ウィキペディアに記されています。

私はこのうち、「常識に反していること」の方が、この小説をうまく表しているなと思っています。そして、前半の「不合理であること」は、一部当たらない部分があるなとも思っています。今回は、その観点から、この小説を当ブログなりに解いてみたいと思います。

 

まず、この小説のテーマですが、もっと簡単に言うと、「常識に反している人間」をカミユは書こうと思ったのだと思います。

 

あらすじ

アルジェリアのアルジェに 暮らす主人公ムルソーのもとに、母の死を知らせる電報が、養老院から届く。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど、普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄 から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。

-ウィキペディア⁻

 

合理性と不合理性から見る「ムルソー」と「普通の人」

ウィキペディアからのあらすじの引用ですが、この短い中に、この小説を読み解く重大な鍵が二つあると思います。

「昨日ママンが死んだ」という一文は有名ですが、主人公のムルソーは、母親が死んでも涙一滴流さず、普段と変わらない生活を送る。まず、一つ目の鍵はここですね。

確かにこれは、常識からはかけ離れた不条理な言動だと誰でもわかります。とても分かり安いと思います。ですが、ちょっと視点を変えて、ここに「なぜか?」という合理的な疑問を挟み込むと、とたんにわからなくなるのが、これじゃないでしょうか?

 

なぜ母親が死んだら、悲しんで涙を流し、普段の生活が送れなくなるのでしょうか?

 

それは確かに常識で、当然なのかもしれませんが、なぜかという合理的な答えは探しても出てきそうもありません。だれか、説明できる方いますでしょうか? つまりは、母親の死に悲しむことには、実は合理性がありません。もっと、残酷に言っちゃうと、合理的には年老いた母親は早く死んだ方がいいですよね? いや、私が母親に対してそんな感情を持っているわけではありませんよ、念のため(笑)。

これが、ムルソーが合理的でない、という謂れに対する反論の根拠になります。この部分においては彼は実はとても合理的なんですよ。

 

そして、もう二つ目の鍵は、「太陽が眩しかったから」という理由で、犯した殺人です。ここでは、彼は非常識かつ、とても不合理なんです。

 

殺人というものは、「つもりはなかったけど殴ったら死んじゃった場合」を除いたものは、極めて打算的、合理的な判断による結果で起こる、と私は思います。そいつをこの世から消すメリットが大きいという打算で殺すわけですよね。

だから、「太陽が眩しいから」という理由で、メリットのない殺人に手を染めたムルソーはこの点で、非常に不合理ということになります。

 

ムルソーという特異な人物を表す要素として非常に有名なこの二つのエピソードを、合理性という観点で見てみると、彼は全く正反対の言動を表していることがわかります。ムルソーは「人間らしさを持たない」、もしくは「人間らしさを持たないことを良しとする人物」の創造を目指して書かれたと考えられることから、人間性とは彼の言動の逆であると考えればいいのではないでしょうか。

人間性とは合理的、不合理的とひとつに決めることは出来ずに、その時々において、別々の行動をとる物だということが考えられますね。

 

この小説のテーマ、「非常識人ムルソー」の肯定は危険?

母親が死んだら、不合理に涙を流して悲しみ、無意味な人殺しは合理的な判断で決してしない、というのが、人間性のある常識的な人間ということになります。

これはある意味、当たり前のことですが、私たちは意外とそこに気づかないのです。そんな「当然」を「当然ではないこと」として鋭く描き出すこの小説はやはり名小説でしょう。そして、「非常識な人物」ムルソーを肯定するかのように描かれるこの作品はまさに問題作! と言ったとろこではないでしょうか。

 

ネットを見ていると、ムルソーを是とする意見が結構ありますね。これは、価値観の多様化という良い面でもあるかもしれませんが、一部に危険な要素をはらんでいる可能性もあるかもしれません。また、別の機会にそのあたりを書いてみたいと思います。