かつて「最強」だったはずのイスラエルが苦戦しているようです。
国連人権理事会の専門家は14日、ガザ地区への大規模な報復攻撃を続けるイスラエルについて、「自衛の名のもとに、民族浄化に相当する行為を正当化しようとしている」と強く警告し、即時停戦の必要性を訴えました。
テレ朝nwes
「実は、イスラエルの方が悪である」という噂は、数年前から大きくなり始めていました。つまり、それは「仕組まれた世紀の大逆転劇」だということで、私は、毎度それを少し前に伝えたに過ぎません。
「最強」時代の終わり
イスラム主義組織ハマスによる7日のイスラエルへの奇襲攻撃を巡り、イスラエルと米国によるインテリジェンス(情報収集・分析)上の失態だったとの指摘が出ている。両国とも世界最高水準の情報機関を擁しながらハマスの攻撃を十分に事前察知できず、多くの犠牲者を出したことになる。
イスラエル奇襲「インテリジェンスの失態」、米長官も認める…モサドやCIAのハイテク頼み「あだ」 読売新聞
CIAやモサドが最強の時代は、とっくのとうに終焉していました。
この辺りの記事を読んでもらえれば、分かり安いですかね。で、これらの事態を暗示するようなとっても面白いニュースが少し前に出ていたんですよね。
エルサレム症候群とは、観光客がエルサレムの持つ歴史や力に圧倒されて現実から切り離され、自分を聖書の人物と思い込む珍しい疾患のことを言う。
ローマ時代の彫像を破壊、米国人の男逮捕 イスラエルの博物館 CNN
自分を聖書の人物だと思い込む「エルサレム症候群」の男が、ローマ時代の彫像を破壊したんですね。この事件のイスラエル警察の発表は、10月6日。つまり、ハマスの急襲より前なんですね。
お前らはこれから「エルサレム症候群」のせいで滅びるんだぜ、ベイビー?
と言っているようにしか思えないのですが、どうですかね?
「破壊」の世界史
前回の記事にも書きましたが、現在の世界で行われていることは「破壊そのもの」です。しかし、当ブログはそれを肯定するに足る、大いなる疑問に答えていません。
その大いなる疑問とは、「なぜそこまでやるのか?」ということです。人間の行動には、動機が伴います。つまり組織的な犯罪の背景には、必ず合理的な動機が隠されているはずなんです。
「軍産複合体の利益のため」とネットでは言われますが、そのレベルの説明で満足できるのであれば、それでいいでしょうが、実際のところ、そんなことのためであるはずがないのです。
徹底的にやる
その一方で、ノイマンが強く主張したのは、京都への原爆投下だった。ノイマンは、日本人の戦争意欲を完全に喪失させることを最優先の目標として、「歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべきだ」と主張した。
これに対して、ヘンリー・スチムソン陸軍長官が、「それでは戦後、ローマやアテネを破壊したのと同じ非難を世界中から浴びることになる」と強硬に反対した。彼が新婚旅行で京都を訪れていたことも、その反対の一因だったかもしれない。
「原爆は京都へ投下するべき」と主張した天才科学者・ノイマンの異様な「悪魔性」と「虚無感」 現代ビジネス
原子爆弾を開発したフォン・ノイマンは、原爆投下の目的に日本文化を破壊することを上げていたようです。
原爆を無警告で都市に投下するのは非人道的なので、日本人を呼んで砂漠か無人島で原爆の威力を見せつけ、降伏を促せばよいという提案である。
そう、彼らの目的は「破壊そのものである」としなければ、説明できないのです。そして、「なぜそこまでしてやるのか?」は、従来の「支配のため」ということでは説明できなかったのです。
そう、それこそ、彼らを悪魔か宇宙人とでもしなければね。しかし、残念ながら?「彼ら」は人間なのです。そんな中、とうとう私は行きつきました、その大いなるものを解決する一つの仮説に。
「遊牧民」 VS 「農耕民」
その破壊の主の正体は、遊牧民を祖に持つではないのか? ということです。
これらの文化は、遊牧に起源をもつものであるが、現代の国民国家、産業社会においてその遊牧的慣習は抹殺される傾向にある。その一因として、現代型の民族観、国家観と遊牧民の持つ集団編成原理に相容れない性格がある事が挙げられる。
「遊牧民」 ウィキペディア
「彼ら」はこう主張するでしょう。
「現代文明社会において、我々は被害者であり、反撃しているだけだである。国境などというものは初めから存在しないし、ほっておいたら、我々は地上から消し去られてしまう」
それが私が、彼らが西洋文明社会、国家を破壊しようとする動機ではないかと見ているのです。ちょっと、話が飛び過ぎていますね。順を追っていきましょう。
江上は騎馬遊牧民に代表されるような複合的な国家を形成するものを騎馬民族と呼び、世界の主要民族を騎馬民族的なものとそうでないものとに分け、定住農耕地帯での国家形成は少数の騎馬民族が支配者として侵入することによって始まると説いた。
『スキタイと匈奴 遊牧の文明』 講談社学術文庫
「世界史」を支配してきたのは、軍事的に「最強」の遊牧騎馬民族であり、当ブログ的な言葉で表すならば「ロンドン筋」の正体は、遊牧騎馬民族に起源をもつ者であり、その出自はアジアであるということになります。そうであれば、なぜ、彼らが覇権をアジア(中露)に戻そうとしているのか? の答えもはっきりとしたものになります。そこは彼らの出身地なのです。
これらの共通する特徴は、いずれも定住農耕地帯の文化・社会・道徳の基準とはまったく正反対であった。
彼らの生き方は、農耕民族とは全く違うものであり、その延長線上にある西洋文明、国家は邪魔なものでしかないのです。
「中国」と「日本」を作った「モンゴル」
「彼ら」は大国に侵入して、システムを支配していきました。
隋は中央集権的な官僚制を整備し、律令制を完成させます。三省六部制という行政機関の役割分担とともに、その権限や責任が明確に規定されます。また、これらの官僚制を担う人材を科挙というペーパーテストで選抜しました。それ以前の漢民族王朝では、九品官人法という官吏登用制により、家柄に基づいて人材が登用されており、世襲の貴族政治が横行していました。隋はこうした人事の閉塞を打破するために、試験の結果によってのみ、人材を選抜する公正な制度を発案したのです。
中国の統治システムを作ったのは、漢民族ではなくモンゴル系だった 現代ビジネス
私の推測が正しければ、その目的は貴族を廃して馬鹿を台頭させるためですね。最終的には、国家そのものを滅ぼすことを目指しているのではないでしょかね。
そしてもう一つ、これは現在の日本社会を支配しているシステムそのものだと言えます。
その例として日本の古墳時代の大和政権成立をとりあげ、それは大陸から東北アジア系の騎馬軍団が征服者として渡来して打ち立てられたとする説を提唱した。天皇家が日本土着ではなく大陸出身であるとするこの騎馬民族説は、とくに一般の歴史愛好家からは広く支持を集めたが、歴史学・考古学の専門家からはお おむね拒否・無視され、考古学者の小林行雄や佐原真らによる批判が相次いだ。
『スキタイと匈奴 遊牧の文明』 講談社学術文庫
さらになんと! 考古学者の江上波夫氏によれば、天皇家は「モンゴル」のスパイだと言うのです! しかし、結論から言えば、これは勘違いでしょう。
ネットでも天皇を渡来人だと言っている人たちが、結構いるみたいなんですね。その可能性派もちろん完全には否定出来ませんが、積極的にそう思わなければならない理由もありません。
火の無いところに煙は立たぬ、確かに日本は、絵にかいたような「モンゴル式」の天皇中心のペーパーテスト官僚主義、律令国家であります。その頂点にする天皇家がスパイだと考える根拠が皆無だとは言えないでしょう。
しかし、現実的にそれはあり得ないですね。外国の勢力に国のトップが奪われる事例は、国際政治上も珍しくはないように見えます。ただ、それが長く続くということはないでしょう。ネタニヤフやトランプがいい例だと思うのですが、外国のスパイが何千年と国の頂点に君臨できるほど、政治の世界は甘くないです。
例え国民は騙せても、土着の貴族たちは騙せないからです。
じゃあ、天皇っていったい何なの?って言ったら、私にはこの説がガッテンきましたね。
それについて、「天皇の地位が祭祀王という律令制以前の古い伝統を踏まえており、その政治的地位は祭祀王としての宗教的地位に由来する」からであるという説明があ る(11)。また、古代天皇の宗教的特質は、「さまざまな重要な機能をはたしていた が、その司祭者的王としての原始性が特に注目される。天皇は畿内豪族層に共立され た司祭者的首長としての性格を色濃く残している」ことにあるとされる (15)。
『天皇はいつから天皇になったか?』 祥伝社
古代の天皇は、祭祀王だった。つまり、自然を敬う日本古来の宗教の最高権威者だったということなのです。古代において、それは「まつりごと」「政治」と=です。
その権威を「彼ら」は、利用しようとしたのでしょう。毎度の手口といったところですが、日本側にとっても、これは毎度の手口だったのです。あるお付き合いしながら、本質的な部分では受け流す、今の日本の政治家のやり方と全く同じなのですよね。そしてもっと言うと、それは日本人の付き合い方そのもの、とも言えそうですよね。
で、江上氏はそれを見て「天皇は悪魔の手先に違いない」と勘違いしてしまったということではないですかね。ネット民と同じ? 真面目な話、それは、裏読み初心者あるあるだと思います。
繰り返しますけど、それは現実的にあり得ません。
これを、日本史になぞらえていえば、天皇と将軍、もしくは将軍と執権、さらにはほとんど同時代の足利将軍・公方と管領たる実力者といった関係を想い起こす。これに関連して、「管領」という用語・概念そのものが、モンゴル時代の大陸でのそれの直輸入であったことは、日本史においてもう少し認識されてもいいだろう。
『モンゴル帝国と長いその後』 講談社学術文庫
武士って改めて見たら、「騎馬民族」ですもんね。見た目は、露骨にモンゴリアンだし~。で、纏めると、こうなります。
(呼称は違ったにしろ)天皇は古代日本に存在していたが、天皇制を創ったのは外国(遊牧民)の勢力である。
ただし、ここで肝要なことは、たとえば茶道といい、能といっても、大陸でおこなわれていたものとは、はるかにちがうあり方で、「日本化」していったことである。いいかえれば、起源・ 由来・原型は外来のものではあっても、それらは大きく姿を変え、ほとんど別のものに昇華したのであった。それが現在、日本文化と呼ばれるものの多くの「かたち」と「心」をつくることになった。
受け入れるが、全てには従わず、改変して日本式にしてしまう。それが「日本」の本質であり、古来からの日本人のやり方だったのです。
遊牧民から現代人へのメッセージ
では、最後に遊牧民族から、私たち、現代西洋文明人へのメッセージを紹介して終わりにいたしましょう。
遊牧は、最も環境にやさしい生活様式なのである。
それでもテレビは見たい、 インターネットもしたい。そういう場合には、太陽発電と風力発電という手段がある。遊牧民一家族の電力をまかなうのに、大げさな装置は必要ない。
『スキタイと匈奴 遊牧の文明』 講談社学術文庫
自然環境を大切にしろ! 化石はダメ、原発なんてもってのほか!
一般的に騎馬遊牧民社会では女性の地位は、農耕民社会よりも高いことが知られている。
女性差別をするな!
それは本書で再三にわたって指摘してきた多様性と柔軟性、それに伴う国際性である。
多様性を尊重せよ! グローバリズムを推進せよ!
それらは、遊牧民であることの自由さ、移動性の高さに由来するものであろう。
「自由」を大切にしろ!
ですってよ、みなさん! は? 耳にタコが出来る?
え~なんでだろう? おかしいなあ~