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世界文学最高峰を読み通すのは登山くらい大変?

世界文学の最高峰と言われるこちらの作品を取り上げてみたいと思います。

私もこの評価に全く異論はありません。同じくその一つと言われるシェークスピアは印象派の絵画のように人間のど真ん中を描き出すイメージですが、こちらはあらゆる多面的な要素を含み、なおかつドストエフスキー自身の思想もはらんで複雑な構造体と化しています。

ですので、テーマは何かと一言で説明することは難しいでしょうし、私もそれを理解しているとは言えません。一生のうちに読んだほうが良いことは間違いないですが、お若い方でしたら、慌てて今すぐ読む必要はないでしょう。

まだ知識、経験の浅いうちに読んでも理解はとても難しいです。意を決して読んでも面白いなんてとても思えなく、きっと苦しいでしょう。でも、その苦しさを乗り越えても読み切る価値のあるものであることは断言できます。

 

テーマの一つ 「神と人間と自由」

「神と人間」これがこの小説の重大なテーマであることは間違いないと思います。果たして神様は本当にいるのでしょうか? ドストエーフスキーはキリストへの熱烈な信仰を持ちながら、激烈な懷疑の中にいたそうですが、重大な懐疑をこの小説の中で語らせます。

 

もし神様が本当にいるのなら不幸な人をどうして助けないの? こんな純粋な疑問に彼の代理とも思われるイワンはこう答えます。

「人間の自由のため」

神にとって貧しい人に食べ物を与えることは簡単ですが、そうすれば奇跡を目の当たりにした人々は神の言いなりに生きていくことなります。その服従を神は望まなかったというわけです。なるほど、崇高な考えです。

つまり、人の望み通り石をパンに変えることは人を服従させる悪魔の所業なのだとイワンは言います。

 

このブログの主テーマとして取り上げているところに「人間と文明」というものがあります。ドストエフスキーの生きてきた時代も文明が発展し、色々な科学技術が出てきたころです。
石をパンに変えることのできる文明はまさにイワンの言葉通り人々を支配し、服従させています。それは彼から言わせれば悪魔の所業ということになるのでしょうね。

 

ドストエフスキーの小説は現代の預言書と呼ばれていますが、現代の文明はまさに神の領域に入ってきています。しかし、人の欲望をかなえるそれは神ではなく悪魔の仕業、ここではそう語られています。

十八世紀の頃にある年をとった無神論者が「もし神がいなかったら、作り出す必要がある」といったね。ところが、はたして人間は神というものを考え出した。

しかし、神が本当に存在するということが不思議なのじゃなくて、そんな考えが、神は必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地悪な動物の頭に浮かんだ、ということが驚嘆に値するのだ。

-第五編第三から-

自由と服従、どっちを選ぶ?

自由と服従、果たしてどちらが良いでしょうか? 普通に考えたら、自由がよいと答えると思います。しかし、その自由が人をこれでもかと苦しめているのではないか、と神のやり方を否定する大審問官は言います。

動物園の動物は自由のない代わりに、餌をもらえますし、天敵に襲われることもありません。大自然で生き抜くことは非常に苦しいことです。果たして本当はどちらが良いのでしょうか?

 

この重大な答えを見つけるには「人間の尊厳」というものを考えてみるとよいかもしれません。動物は服従に疑問を持つことはないのでしょう。ですが、人間は服従に懐疑を抱き、反逆することが出来ます。それは私たち人間にしか出来ないことです。この懐疑と反逆こそが意思の発露であり、人間の尊厳だと私はそんな風に考えています。

 

神(自然)と悪魔(文明)への懐疑と反逆の結晶のようなこの作品は、まさにそれ自体が人間の尊厳であり、崇高、芸術の極地と言っていい物ではないでしょうか。

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