花粉症の原因は、花粉そのものではなく化学物質にあるという科学的な見解を見つけました。

杉花粉によって起こるとされているアレルギー性結膜炎の発症に,農薬やたばこの煙など身の回りの化学物質が関係している疑いが強いことを北里大医学部の石川哲教授,難波竜人講師のグループが動物実験で突き止め,24日,岡山市で開かれた第94回日本眼科学会で発表した。

 これまでアレルギー性結膜炎など花粉症の患者数は,杉花粉の発生量に必ずしも比例しないことが知られていたが,今回の研究は最近の患者急増のなぞを解くかぎになりそうだ。

花粉症の急増農薬も一因 動物実験で突き止める 日本動物実験技術者協会

この記事なんと、1990年ものです。医学会は、花粉症の原因は化学物質であるという事実を、30年間以上も私たちに隠蔽していることになりますが・・。

自然海塩と無農薬玄米で花粉症治療

何か特別な事情でもあるのでしょうかね。「隠蔽」が根拠無き陰謀論ならば、この見解は間違いだったということなのでしょうか。どうも、そうは思えません。

以前、この記事で私は自分の花粉症を治療したことをご報告しました。実際のところ、完治までには及んでいません。コロナのように完全な無症状というわけではなく、目の痒みなどが出ることがあります。

ただ、劇的に改善したことに間違いはありませんし、特に鼻の症状の方は完治に近いですね。

しかし、その後、思わぬ副作用に出くわすことになります。それが「過敏性腸症候群」の悪化です。

過敏性腸症候群

近年、下痢や便秘が続いたり、下痢と便秘を繰り返したりするなど、腹部の不快な症状に悩まされているにも拘らず、検査をしても胃腸に原因となる病気などの異常が見つからない人が増えています。これは「過敏性腸症候群」と呼ばれる病気。ストレスが蔓延する社会環境となり、その数が急増しているとされていますが、今回は過敏性腸症候群を特集しました。

若い人、働き盛りの人に急増 過敏性腸症候群に迫る NIPRO

幼少の頃から私を悩ましてきた病気が「花粉症」と「過敏性腸症候群」でした。トレイに籠っていて、テストが受けられない!とか、トイレにあと一歩足りなければ悲惨な運命に! ということが何度もありました。

玄米に変えるとこの症状が悪化したのです。いくら花粉症が良くなっても、これは困ったなと・・。ネットを検索して原因を探ってみたのですが、今一ピンとくるものがありませんでした。

そこで、私に花粉症の治し方を教えてくれた先生、赤峰勝人氏の『食の命 人の命』をもう一度読んでみたのです。すると、ある部分に目が留まりました。そこにはこう書かれていたのです

「よく噛んで食え」と。

ああ・・まさか! ええ、私の予感は的中しました。それ以来、「過敏性腸症候群」は現れなくなりました。玄米は糠が残っていて、白米より消化が悪いため、よく噛まないで飲み込むことで胃腸の負担が増加し、下痢が頻繁するようになっていたと考えられます。

しかし、そのおかげで私は病気の原因に気が付くことが出来たのです。

しかし、30年近くにわたり、私を悩ませてきた病気の原因が、単によく噛まずに飲み込んでいたから、という事実には愕然とします。

しかし、気が付いてみれば当たり前、なのです。お粥は消化のよい食べ物の代名詞ですが、よく噛んで食べることとは、自分の口の中でお粥をつくる、ということなのですから。

確かに確かに、腹が減ってご飯を食べた直後に激しい腹痛に襲われることがよくありました。お菓子を食べた後だと出にくかったため、おやつで慣らさないとだめなのかな? とか思ってましたが、もう完璧に完全に理解出来ました。

腹が減っているときは、いつにもまして噛まずに勢いよく飲み込んでいたのです。それが原因のすべてです。

そして、もう一つ言えることは、病院に行っても、この病気を治してくれることは断じてなかったであろうということです。

「過敏性腸症候群」というのは、あくまで私の自己診断ですが、病院に行っていたらそういう診断結果になり、お薬を処方されただろうことに疑いの余地はありません。

おまえがよく噛んでないだけじゃねえ?

と医者は絶対に言わないでしょうし、分かりもしないでしょう。

しかし、私の中で不治と考えていた30年来の二つの病を治してしまうとは、赤峰氏は凄すぎる。彼は医者ではなく、農業家です。その彼が信奉しているのが、千島学説です。

千島学説(ちしまがくせつ)とは、生物学者千島喜久男が提唱した赤血球が体細胞の母体であるという説。1932年から1959年にかけて彼が発表した8つの意見を基にして、1963年から主張し始めた。医師や健康療法家などがこの説を援用している場合があるが、多くの医学的知見と矛盾する説であり、査読のある論文で千島学説を肯定するものは千島学説研究者が執筆したものも含め皆無である。

「千島学説」 ウィキペディア

花粉症を治すためには、鼻の粘膜を焼き切れ、などと主張してくる西洋医学の方が信用できないと私が考えるのも無理はないでしょう?

そもそも、

花粉症の急増に,これらの化学物質が関係している疑いは強い

花粉症の急増農薬も一因 動物実験で突き止める 日本動物実験技術者協会

のであれば、元々無害である花粉に免疫が誤った反応を起こしていると言う説明は出鱈目です。「花粉症」は、害のある化学物質を排除しようとする正当な防御反応です。

薬を飲んだりして、症状を抑えるは大きな間違い、ということになります。それは風邪などと同様です。

間違っているのはお前らの方だよ、人間は愚かだなあと神様(自然)は笑っていらっしゃることでしょう。

医者は健康診断を受けない?

「早期がんを見つけるためにはそれぞれのがんの特徴に合わせた検査をしないといけないから、通常の人間ドックや検診では無理だよ。きちんと日頃から勉強しているお医者さんなら決して通常の人間ドックや検診は受けていないよ、絶対に。

医者は人間ドックを受けない!?一般的な人間ドックや検診では、早期がんの90%以上は見つけることが難しいという事実知っていますか? 内視鏡医者の知識シリーズ

「会社の健康診断で精密検査必要が出て、それ以来検査ばっかりで大変なんです。特に症状はないんですけどね。まあ、早期発見できてよかったんですが」

会社のパートさんに、そんな話を聞かされて、社員として検診を受けさせている私は、どうも悪いことをしているような気がしました。

そのパートさんの口調には、「必要性を感じられない」という本音が表れていました。

個人的には、検診には全くもって懐疑的です。特に40過ぎて受けた初めてのバリウム検査は大嫌いで、変な液体を飲まされた後、機械ベッドに緊縛されて、ぐるぐる回されて気持ち悪くなった挙句、会社のトイレに詰まってしまった白い物を、誰にも知られないように棒でつついて、やっとの思いで流しきった時には、怒りがふつふつと湧いてきました。

この屈辱は決して忘れない・・

胃レントゲン検査は、平面の影絵の原理で撮影されていますので、凹凸を伴わない早期の胃がんや食道がんについては発見できないことが少なくありません。影絵の原理で凹凸を見ているだけですので、胃がんや食道がんがかなり大きくならないと影としては描出されないのは一目瞭然です。

まあ、でも、この悩みはすぐに解消されました。次の年から、窓口で「バリウム検診は受けません」と言えばいいだけだったからです。ついでに、肺のレントゲンもと思って言ったら、ちょっと怪訝な顔をされたんですが、キャンセルできたんです。

ですが・・この後、不測の事態がおこりました。

問診の時に、誰かの肺の写真がそこにあったんですね。これは大問題、個人情報流出・・。で、先生はその写真を元に話し始めました。「特に問題ありません」と。

「それは私の肺ではありません」

そんな野暮なことは言わずに「ありがとうございました」と静かにその場を離れました。私は空気が読めますのでね・・。以降、肺のレントゲンは受けています。私のせいで、その後の写真がずっとずれたままだったら、さすがにまずいですから・・。

病院は医者のためにある。

立川談志

健診はその典型的な例ではないでしょうか。

現代医療は間違っている?

私は医療の知識は皆無です。しかし、得意としている、政治分析から考えると、現代医学は、全てとは言わないにしろ、大分間違っている可能性の方が高いと推測しますね。

WHO(世界保健機関)もロックフェラー財団の活動から生まれたものであることは決して不思議なことではない。

世界を動かしたロックフェラー デイヴィッド・ロックフェラー『ロックフェラー回顧録』 財団法人 日本国際交流センター

WHOを作ったのもロックフェラーだしね。むしろ、間違っていないはずがないですね。

間違っている根本原因はなにか。それは、生命というものは時々刻々と変化しているから生命であるのに、世界の学者は生命は変わらないものとしてとらえているからだった。

現代のもっとも進歩的な生物学者に、生物とは何かと質問すれば、生物は結局のところひとつの機械だという答えが返ってくるだろう。

「生物という名の機械は、遺伝情報が詰め込まれたDNAというテープをもち、その指令に従って部品ができ、その部位が自動的に集まっているものである。そのテープに新しい情報を吹き込むことは出来ないから、この機械は一方向に流れていく宿命をもっている」

だが、この考えが間違っていることはすぐに分かる。

『生命の自覚 ~よみがえる千島学説~』 忰山紀一

現代医療は、その間違った考えに沿って、私たちの体に設計図を組み込もうとしているようです。それがどのような結果を招くかは、火を見るよりも明らか、ではないでしょうか。